慶沢園
2008年 10月 25日


この庭園の設計・施工を担当したのは当時の高名な庭師であった「植治」こと小川治兵衛。小川治兵衛は、明治中期から昭和初期にかけて活躍した造園家で、近代造園のスタイルを確立した御仁。東京の西園寺公望邸、倉敷の大原孫三郎邸、京都の山県有朋の無隣庵のほか、平安神宮や円山公園といった大規模な公共造園を手掛けるなど、京都を中心に活躍し、日本の近代造園に大きな足跡を残した造園家で、彼の手になる庭園は国や京都市の名勝などに多く指定されています。
おそらく、大阪に残した彼の庭は慶沢園のみ。その意味貴重かも。


大名庭園をモデルとした林泉式回遊庭園で、中島を浮かべた大池を中心に、三方に築山を築き変化に富んだ地形をつくり出しています。



池をはじめとした中心部は、竣工時の状態をよく保っているのですが、敷地の東端部が削られたり、邸宅部が美術館に建て替えられた際、庭園の周辺部は改造を受けているとのこと。
京都にある多くの彼の作庭が国指定の名勝に指定されているなか、慶沢園が名勝の指定となっていないのは、そのあたりに理由があるのかもしれません。残念なことをしてくれますねえ、大阪市さん。

