大雲院 祇園閣
2007年 09月 25日

大雲院は、天正15年(1587年)、正親町天皇(おおぎまちてんのう)の勅命により織田信長・信忠父子の菩提を弔うために創建されたお寺。もともと、四条にあったものが高島屋が持っていた土地との交換により現在の円山公園の南側という土地に移転したそうな。
大雲院が移転するずっと前、ホテルオークラなどの大倉財閥の創始者大倉喜八郎が別邸「真葛荘(まくずそう)」を建てた際、敷地内に展望台を兼ねた高閣「祇園閣」を建てたのであります。建築家、伊藤忠太の設計による昭和初期の名建築とされ、国の登録有形文化財に指定されています。この伊東忠太は、明治から昭和にかけての建築界の権威として知られる人で、他に平安神宮や明治神宮など多くの設計に携わっています。

三階建て、高さ36メートルの祇園祭の鉾をかたどった造りですが、当初は、「京都には金閣、銀閣があるのに、どうして銅閣がないのはおかしい。金閣、銀閣に次ぐ銅閣を」という発想。その形も傘が逆さまに開いた形という奇抜なものであったらしく、あまりに斬新過ぎたためか伊東忠太氏は実現困難であるとして断ったそうな。これに変わる案として提案されたのが祇園祭の鉾で、一年中鉾が見られのも楽しいだろうという発想だったそうです。それでも銅閣の夢は忘れられず、屋根は銅葺きにするよう頼んだとのこと。
閣上からは夏の東山や京都の町を一望することができます。
こちらは霊山観音と高台寺。

こちらは、逆行で残念でしたが、八坂の塔方面。京の町家の甍が美しいですね。

内部ですが、一層には阿弥陀像が安置されているほか、一層から三層への通路壁面には、中国・敦煌莫高窟に描かれている壁画を模写した壁画が描かれています。また、面白いと思ったのが、伊東忠太氏デザインによる西洋のガーゴイルの姿をしたランプ台。残念ながら、内部撮影禁止でおめにかけることはできません。悪しからず。
なお、これは祇園閣入口に置かれた狛犬。ガイドさんは狛犬ではなく、ライオンだと仰っておられました。たしかに、神社でもなく仏様が祭られているのに狛犬というのは変です。まあ、狛犬でもライオンでもどちらでも(笑)。


また、鉾先には鶴が施されているほか、あちこちに鶴のモティーフが見受けられますが、それは大倉喜八郎の幼名が「鶴吉」に因んだものだとか。

なお、施主の大倉喜八郎は完成する2ヶ月前に亡くなり中へは入れませんでしたし、また相続した息子喜七郎氏も、この建物の異様さに気味悪がって入らなかったそうな。
境内には信長・信忠父子の墓や、石川五右衛門の墓が静かに佇んでいます。戦国の日本の統一を目指した織田信長と石川五右衛門が一緒のお寺にお墓があるなんて、何か違和感を感じますね。ところで、そもそも石川五右衛門って実在の人物だったのかな(笑)。

石川五右衛門の墓です。石川五右衛門の運と人気にあやかろうと 墓石を欠いて持ち帰る人が後を絶たないとか。

信長・信忠父子の墓です。

こちらは、大倉喜八郎の別邸であった「真葛荘」。さすが、立派な建物です。現在も、庫裡として保存使用されています。

