六甲山ハイク:樫ケ峰~社家郷山~観音山(9)紋左衛門岩
2007年 05月 02日

この岩がどうして「紋左衛門岩」という名前が付いたのか。
次のようないわれがあるとのこと。
この地の大社村と甲東村で度々仁川の水争いを繰り返していたそうです。甲東村には仁川があり日照りでも水に困ることはなかったのですが、大社村の方は水利に乏しいことから、
寛永十八年の夏、そもそも仁川の源は大社村の社家郷山にあるから、その水は大社村のもの。仁川の上流からだまって水を引いちゃったのであります。それを知った甲東村の村民が大社村に仮樋を壊しにやって来て、大社の村人と一触即発の事態となったのであります。
そのとき、傍らの大岩の上に真っ白の着物に、手には団扇(うちわ)と鏡を持った、赤黒い顔をした大天狗が仁王立ちになって立って、「我は六甲山の大天狗なり。この山より流れ出る水は皆の物じゃ。この水は皆で分かち合って使え。」てなことを言うではありませんか。恐れおののいた甲東村の村民は六甲山の大天狗のお告げとあらば仕方あるまいと、大社村と仁川に水を分け合ったとのこと。ところで、この天狗様は実は大社村の村人中村冶部紋左衛門という御仁だったとか(笑)。

紋左衛門の機知により村同士の水争いを未然に防いだのですが、その時、紋左衛門が天狗の姿で仁王立ちになった岩こそが、この紋左衛門岩だったそうです。