ストラヴィンスキー:ペトルーシュカ
2006年 05月 27日
この「ペトルーシュカ」は、「火の鳥」成功後の1910年夏に、「春の祭典」と並んで、当初はピアノ協奏曲として作曲されたのですが、バレエ・リュス(ロシアバレエ団)のディアギレフに聴かせたところ、バレエ化を勧められ、現在の形となったそうです。とりわけ前半部分でピアノの活躍が目立っているのは、ピアノ協奏曲として着想されていた由なのでしょう。 後にアルトゥール・ルービンシュタインの要求により、ストラヴィンスキーは「ロシアの踊り」を含むピアノ曲「ペトルーシュカからの3楽章」を作曲します。
翌1911年5月26日に、フォーキンの振り付けでニジンスキーらが踊ってパリで初演されたということですから、昨日は、ちょうど初演記念日だったのですね。
ところで、このペトルーシュカで大事なのが、四つの場面をつなぐドラムだと思うのですが、これがかったるいと全体がしまりません。
当初はピアノ協奏曲として着想されたため、とりわけ前半部分でピアノの活躍が目立っており、とりわけ「ロシアの踊り」は有名。後にアルトゥール・ルービンシュタインの要求により、ストラヴィンスキーは「ロシアの踊り」を含むピアノ曲《ペトルーシュカからの3楽章》を作曲しました。
第1部:謝肉祭の市
•導入 - 群集
•人形使いの見世物小屋
•ロシアの踊り
「謝肉祭」市場の喧騒の中、ケーキ売り、ダンサー、手回しオルガン弾きが行き交います。手品師がペトルーシュカ、ムーア人、バレリーナの人形を紹介し、人形は生き物のようにロシア舞曲を踊り始めます。
第2部:ペトルーシュカの部屋
•ペトルーシュカの部屋
トランペットがペトルーシュカの主題を強奏した後、ピアノが主人公が細かに動く姿を描写します。大好きなバレリーナがやってきて、ペトルーシュカは大喜びするのですが、彼女は連れなく出て行ってしまいます。
第3部:ムーア人の部屋
•ムーア人の部屋
•バレリーナの踊り
•ワルツ(バレリーナとムーア人の踊り)
ムーア人のグロテスクな踊りに続いて、バレリーナが加わってワルツを踊ります。そこにペトルーシュカが入ってくるのですが、たちまち追い出されてしまいます。
第4部:謝肉祭の市(夕景)
•乳母の踊り
•熊を連れた農夫の踊り
•行商人と二人のジプシー娘
•馭者と馬丁たちの踊り
•仮装した人々
•格闘(ペトルーシュカとムーア人の喧嘩)
•終景:ペトルーシュカの死 ―
•警官と人形使い ―
•ペトルーシュカの亡霊
乳母、熊を連れた農民、商人、ジプシー娘、御者達が次々と踊り、祭りは最高潮に達します。そこにペトルーシュカが現れ、追ってきたムーア人に殺されてしまいます。市場の警官は老魔術師を尋問し、ペトルーシュカの遺体のおがくずを振って取り出し、ペトルーシュカがただのパペットであるとみんなを納得させ、平静を取り戻してはどうかともちかけます。
夜の帳が降りて群集も掻き消え、魔術師はぐにゃぐにゃしたペトルーシュカのむくろを担ぎながら去ろうとすると、ペトルーシュカの死霊が人形劇場の屋根の上に現われ高笑いをします。
お薦めの音盤として、初演者であるピエール・モントゥによるものはどうでしょう。ボストン響との1959年録音。モントゥの慧眼が光ります。なお、このCDにはモントゥ&シカゴ響によるフランクの交響曲がッカップリングされているのですがこれもイケマス。