「火垂るの墓」を歩く(1)国鉄(現JR)三ノ宮駅
2005年 08月 01日
このキャッチコピーは、アニメ映画『火垂るの墓(ほたるのはか)』のものですが、この舞台は、戦中戦後の神戸と西宮。
第二次大戦末期の昭和20年(1945年)6月5日早朝に神戸市から阪神地方を襲った大空襲により母親を亡くし、 14歳の兄と4歳の幼い妹は西宮(満池谷)に住む遠縁の家に疎開するものの、しばらく後に遠縁の家を出て、近くのニテコ池の横穴に兄と妹二人の生活を始めます。しかし戦中戦後の食糧難のために妹は栄養失調が元で死に、その1ヶ月後、兄も三宮駅の構内で餓死してしまいます。
昭和21年9月21日夜、僕は死んだ…。このせりふで、アニメは始まります。
現在の三ノ宮駅は、昭和56年(1981年)に開幕されたポートアイランド博覧会(ポートピア81')を契機として駅ビルの建設と駅構内が改装され、一見すると当時の面影は残っていないようなのですが、駅のコンコースの天上や円柱は昭和初期のままの雰囲気が残されています。
私もうっすらと、改装前の三宮駅を記憶しているのですが、どちらかというと、三宮駅よりも、JRの兵庫駅あたりの方が、昭和20年ごろの国鉄駅の姿を伝えているような気がいたします。
なお、私の祖母は、1970年頃、つまり、私が清太と同じ年頃であった頃、「戦後直ぐの頃、JRの三宮駅界隈には、親や家を失った子供たちがたくさんいた。あんたたちは、いい時代に生まれた。」と口癖のように言っていたことを記憶しております。