明智光秀最後の城・勝竜寺城の桜
2020年 04月 18日

南北朝時代からこの地、小畑川と犬川の合流地点には南北朝時代から城があったとのことですが、元亀2(1571)年に織田信長の命で明智光秀の盟友であった細川幽斎こと細川藤孝によって当時最先端の城郭によって改修されました。


天正6(1578)年、明智光秀の娘玉(細川ガラシャ)が、藤孝の子で、後に利休七哲の一人となる細川忠興(細川三斎)に嫁ぎ、幸せな新婚時代を過ごしたことから、細川ガラシャ・三斎所縁の城として紹介されることも多い勝竜寺城で、実際に、細川ガラシャ・細川三斎の像なんかが場内にあったりします。

でも、「天下分け目の天王山」で知られる山崎合戦の際には、明智光秀がこの城に入り、合戦に敗れた光秀が居城である坂本城に戻る途中で命を落とすこととなります。ですから、この勝竜寺城を明智光秀最後の城と言って差し支えないかもしれませんね。



実は、このあたり、桜が本当に美しいのですが、ちょうど、京都と大阪の真ん中にあたり、大阪から京都に向かう観光客も、この地を素通り。勝竜寺城も隠れ桜スポットで、観光客とは無縁。地元の方々の密かな桜の宴スポットとなっています。


私が足を運んだ3月29日にも、コロナでくれぐれも花見宴会は厳禁とされる中、勝竜寺の石塀に囲まれた敷地で、こっそり宴を楽しまれている方々おられました。
(撮影:3月29日)