天神祭の御迎人形としじみの藤棚
2019年 08月 08日

江戸時代、天神祭の船渡御が、大川下流の「御旅所」に向かって下航していた頃、御旅所周辺の氏子達は「お迎え船」の船団を仕立てて船渡御を出迎えていましたが、元禄期(1688年~1704年)になると、氏子達は町毎に豪華絢爛の大型人形を造り、お迎え船に飾っていました。この人形が、「お迎え人形」と呼ばれていたとのことです。
人形は当時流行の人形浄瑠璃(文楽)や歌舞伎の登場人物をモデルに造られ、幕末の最盛期には、50体を超えましたが、現在は16体を残すだけだそうです。
今年の天神祭で、大阪天満宮で展示されていた御迎人形です。

一番人気は・・・
やっぱり「豆蔵」でしょう。釣り合い人形。いわゆる弥次郎兵衛のことですが、江戸時代には大阪天満宮の境内で売られていたそうです。

これはしじみで作られた藤棚です。

江戸時代の中ごろに意外性のあるもので祭りをにぎやかすものを造るのが流行っており、しじみの藤棚もその一つとして当時作られていたそうです。

(撮影:7月24日)