ブログトップ | ログイン

たんぶーらんの戯言

京阪神の地域密着情報を中心に情報提供します


by てつわんこ
プロフィールを見る
画像一覧

黒田家廟所 @姫路市御着

b0063958_09175679.jpg

江戸時代に福岡藩主であった黒田家が享和2年(1802年)に再建したもので、官兵衛の祖父の重隆、官兵衛の生母・明石氏を祀っています。

重隆は竜雷太さんが心優しいお爺さんを演じておられました。



b0063958_09180103.jpg
◆黒田重隆について(ウィキペディアより)
近江黒田庄出身の牢人だったが、播磨に流れ着いて土着して当地の土豪となった。その際、広峯神社と通じて家伝の目薬の代理販売をしてもらい財を成した。その縁もあって広峯神社など姫路周辺の領民からは非常に慕われている。当初は龍野赤松氏に仕えたが、後に小寺氏に鞍替えして重用された。その後は隠居生活を送っており、幼い官兵衛はしばしば重隆の草庵を訪ねていた。
官兵衛が成人した後もたびたび助言を送っていたが、おたつを失い我を忘れていた時には「命の使い道がわかっていない」「もっと見聞を広げよ」と厳しく叱責し、官兵衛が立ち直るきっかけを与えた。その後間もなく死去する。
その経緯から、武士でありながら銭勘定にとても明るい人物であり、黒田家に「いざという時のために、普段は無駄に銭を使わず倹約せよ」という家風を生み出すに至った。反面、財を成した経緯から黒田家を快く思わない小寺家譜代の家臣からは「目薬屋」と揶揄される土壌を作り出してしまっている。



b0063958_09180482.jpg
資材を福岡から運んだとのことですが、瓦は深志野で焼かれ、石塀には竜山石が用いられるなど播州地域との関係も深いようです。御霊屋は現在銅板葺ですが、もとは本瓦葺。五輪塔は享和のままを保っていとのこと。


by tetsuwanco | 2018-06-16 09:17 | ちょっと遠出 | Comments(0)