三菱グループ縁の土佐稲荷神社の桜
2016年 04月 15日

長堀川畔の土佐藩蔵屋敷に古くから鎮座していたことから、土佐藩ゆかりの神社である土佐稲荷神社。

1868年のフランス兵殺傷事件(堺事件)の折、明治政府がフランス公使ロッシュの要求を容れて20名が切腹することになり、29名の者が、この神社で、籤を引いて決め、翌日堺の妙国寺へ護送されたとのこと。



明治初年、土佐藩蔵屋敷とともに、岩崎弥太郎に譲り渡された。岩崎弥太郎は当地で事業を営み、三菱の発祥の地となり、その縁から三菱グループとは今でも、深い関わりを持っています。



ところで、桜の名所として江戸時代の観光ガイド『攝津名所圖會(せっつめいしょずえ)大成』にも紹介されているとか。



今回は、昼間の訪問でしたが、特に、夜桜の名所として親しまれているとのこと。ソメイヨシノがぼんぼりなどで幻想的に浮かびあがるそうです。



(撮影:4月3日)