織田信長のお墓は様々な場所に存在したとされています。
信長の後継者として世に認識されることを望んだ秀吉が、信長の一周忌の法要を執り行う為に建立した大徳寺の塔中総見院の墓に対し、こちらのお墓は、明智光秀による本能寺襲撃の報を聞いた阿弥陀寺住職清玉上人が、すぐさま本能寺に 向かい信長の遺骸を裏手の藪で火葬しその骨を持ち帰り埋葬したと伝えられています。
墓所には信長をはじめ、信忠や森乱丸、坊丸、力丸の三兄弟、更に猪子兵助ら12名の家臣の墓もあるようです。
境内には、それほど多くはないものの数本の桜があります。
本堂そばの桜はなかなか見事でしたよ。
(撮影:4月2日)