ジェームズ山と旧ジェームス邸
2015年 02月 14日
神戸の西、塩屋に位置し、明石海峡を望む「ジェームス山」の由来は、英国人貿易商アーネスト・ウィリアム・ジェームスが、昭和7年頃からこの地を開発し、50 軒の外国人用の別荘や賃貸住宅を建てたことによっています。見晴らしのよい場所には邸宅、中腹には賃貸住宅、谷間にはテニスコートやプール、クラブハウスなどの共用施設をつくりました。

ジェームスは、明治26 年に神戸に創設された貿易会社、カメロン商会の総支配人でした。ジェームス邸は、第二次大戦中接収されていましたが、戦後、ジェームスは再び帰って来て、昭和29 年にここで亡くなりました。遺族が相続税で困っていた時、サンヨー電機の創始者である故井植歳男社長が、土地と外国人用住宅を買い取り、その後、サンヨー系の不動産会社が、外国人のみに賃貸し、約十カ国の人々が住んでいるそうです。

明石海峡大橋と淡路島を臨む絶景のこの丘は、今もなお昔と変わらぬ美しい景観が保たれ、塩屋カントリークラブを核としたコミュニティが息づいています。

ジェームス山のシンボルのライオン像。

ライオン像が有名ですが実はトラも・・・

高台から海を臨むと、平磯灯標が見えます。サマセット・モームの 『困ったときの友』に 登場するのですが、彼は、日本滞在中に1927年、日本に滞在した際この塩屋に知人に招かれています。

そして、ジェームス山を開発したジェームス氏は、その一角に自らの邸宅を築いのが、現在はレストラン兼結婚式場となっている旧ジェームス邸です。たびたび、TVドラマのロケ地として活用されていますね。


1934年に完成。竹中工務店の設計、施工で、モダニズムの中に装飾性のエッセンスを採り入れ、国の登録有形文化財「雲仙観光ホテル」を手がけたことでも知られてい早良俊夫が設計を担当しました。

戦前はジェームス氏の私邸として使用されていましたが、やがて戦争により彼もこの邸宅を離れて出国を余儀なくされます。

戦後帰国したときには進駐軍に接収されていたのですが再びジェームス氏の手に戻ります。彼の没後も望淡閣として三洋電気の迎賓館に使用されるなど大切に保存され、2012年に神戸市指定有形文化財となり、現在に至っています。

