花街として賑わった元林院町 @奈良
2013年 05月 08日

猿沢池の西側に位置する元林院町の地名は興福寺の別院・元林院に由来しますが、ここは明治時代初めから大正、昭和時代にかけて花街として賑わったところでもあります。
明治5年(1872)ごろ花街が生まれ、最盛期の大正時代末から昭和時代初めにかけて置屋も12軒に増え、芸妓も200人以上となり京都、大阪の花街にひけを取らないほど。
昭和40年代から娯楽の多様化と芸妓を呼んで遊ぶ旦那衆と呼ばれる人が少なくなり、芸者置屋が次々と廃業し、現在、置屋は1軒のみ。芸妓も十数人となってしまったそうです。
元林院町の食事処「まんぎょく」の絹谷家は、元は「萬玉楼」と言う芸者置屋で、江戸、明治、大正とそれぞれの時代に建てられた3棟の主屋からなっています。中央の江戸時代の家は奈良市教委の調査で棟札が見つかり、寛保2年(1742)の建築と判明して、奈良町の中で最も古い町家のひとつであることが判明しました。

興福寺の別院・元林院は天文元年(1532)の天文一向一揆で焼失したあと再建されず、境内に町人が移り住んで元林院町を形成しました。元林院町には絵師たちが多く住んでいたため別名「絵屋町」とも呼ばれ、その名残として元林院町の率川(いさがわ)の橋に「ゑやばし」と刻まれた欄干の石の親柱が残っています。

まんぎょくさん以外にも、町屋建築が残っており、なかなかいい風情を醸し出しています。


通りからは興福寺南円堂の甍を眺めることができます。
