エリック・サティが彼の人生で唯一恋に落ちた女性
2005年 01月 27日
そのようなもののなかに、モンマルトルの風景を描きつづけたユトリロの母にして、孤高の音楽家エリック・サティが彼の人生で唯一恋に落ちた女性でありましたシュザンヌ・バラドンがあります。ルノワールは彼女をモデルとして、「都会のダンス」と「ブーシヴァルのダンス」の2作品を残しております。
非常に魅力的な女性であったとのことであり、ロートレック、スタンラン(猫の画家として有名、エリック・サティがピアノを弾いていた「シャ・ノワール」の看板を画いたのも彼ですね。)など当時の画家たちのお気に入りのモデルになったほか、多くの男たちと浮名を流したようですね。
また、彼女自身、ロートレックの紹介で、ドガからデッサンの手ほどきを受け、画家としの道も歩むことになります。

↑都会のダンス

↑ブーシバルのダンス
シュザンヌ・ヴァラドン(1865~1938)
オート=ヴィエンヌ県ベッシーヌ=シュル=ガルタンプ生まれ。洗濯女の私生児として生まれた。本名は、マリ・クレマンティーヌ・ヴァラドン。父親は行きずりの橋梁設計技師。5歳の時、母とパリへ行く。
ピュヴィス・ド・シャヴァンヌのモデルになるのをきっかけに、ルノワール、スタンラン、エンネルなどのモデルになった。シュザンヌは、モンマルトルの若者たちの集まるラパン・アジルに入り浸り、遊び歩くようになる。
1883年18歳の時モーリス・ユトリロを出産。父親は不明。1883年頃、トゥールーズ・ロートレックと知り合い、モデルにして愛人となる。
ロートレックによって、シュザンヌと呼ばれ、以後自身もそう名乗るようになる。
ロートレックによってドガに引き合せられたシュザンヌは才能を見出されて、この頃既に大家であったドガの元でデッサンの勉強をする。1891年、ヴァラドンが付き合っていたポール・ムージスと結婚するためには、父親をはっきりさせる必要があり、スペイン人のミゲル・ユトリロが引きうけ、1891年1月27日に認知届を提出。サティとの関係は1893年1月14日土曜日に始まり、同年6月20日に終わったと記録が残っている。
恋多き、自由奔放な人生を送り、1938年、73歳でこの世を去る。