藤ノ木古墳石室の特別公開
2012年 05月 22日

何しろ、普段は入れない石室を一目見ようという大勢の考古学ファンで一杯。

同古墳は直径約50メートルの古墳時代後期の円墳。内部は横穴式石室があり、朱塗りの刳抜(くりぬき)式家形石棺が置かれています。
未盗掘の石棺内から精巧な副葬品が数多く出土したことでも有名で、平成20年に周辺整備が完了して以来、町が春と秋に石室内部を公開しています。
藤ノ木古墳は、法隆寺に残る記録には、「ミササキ」「ミササキ山」と記されており、 崇峻天皇陵と記すものもあります。その後、発掘調査が進むに従い、斑鳩地方に勢力を持ったと思われる物部氏、蘇我氏、平群氏等の諸説が提示されていますが、定説化したものはありません。
こちらは、斑鳩文化財センターで展示されている再現石棺と石室。


古墳時代後期、6世紀第4四半期の円墳であると推定されていますので、創建が607年とされる法隆寺と歴史的に近い訳で、ひょっとしたら、聖徳太子は、この古墳に埋葬された人物が誰であったのか、知っていたかもしれませんね。
石棺は二上山白色凝灰岩を使った刳抜式。
石棺の全面には朱が塗布されていました。石室内には石棺北側から馬具などが発見され、又、埋葬後、攪乱を受けていない東枕にした2体の被葬者が確認され、そのそばには、鏡や刀など豪華な副葬品が確認されました。東アジアでもまれにみる優れた意匠や彫金技術を施したもので、金具などにパルメット文など共通の文様を用い、鞍金具には竜・鳳凰・象・などの禽獣文や鬼神像などを透かし彫りし、東アジアの様々な文様が集合したも ので、仏教的要素・四神思想などの呪術的な世界の影響をみることができます。
出土した金銅装鞍金具などの馬具類、金銅製の冠や沓(くつ)、銀製塗金空(うつろ)丸玉やガラス小玉などの玉類などおびただしい量の副葬品は、現在 橿原考古学研究所附属博物館で常設展示されています。
なお、これら出土した副葬品の複製品(レプリカ)はすぐ近くの「斑鳩文化財センター」で常設展示されています。



勿論撮影不可でしたが、この様な石棺がみつかったということです。斑鳩文化財センターに展示されているレプリカ石棺です。
