海龍王寺と滅びの美@奈良
2010年 05月 30日

天平3(731)年、遣唐使として中国に渡っていた初代住持の玄昉(げんぼう)が、一切経と新しい仏法とを無事に我が国にもたらすことを願い、光明皇后によって創建されたとも伝わっている古寺であります。

海龍王寺の名称は、玄昉(げんぼう)が、帰国の際、難破して船が沈みそうになった時、海龍王経を必死に唱えたら海が穏やかになり、無事に帰国したことに因むものだそうな。

お寺の場所が平城宮の東北の隅に当たることから「隅寺あるいは角寺」とも呼ばれているとのこと。
ところで、海龍王寺と聞いて思い出すのが、堀辰雄の著書「大和路・信濃路」。昭和初期ののどかな佐保路を散策しているなか、この寺に偶然迷い込んだ記述があります。
当時の海龍王寺は無住状態となっていたと思うのですが、その荒廃ぶりは凄まじく、廃寺に近い状態。堀辰雄氏は、そのようななかに「滅びの美」を見出すのでありました。
実際、当時に撮影されたモノクロ写真を見たことがあるのですが、おそらく参道を撮影したものだと思うのですが、なんと牛が繋がれている写真! なんとも、のどかな風景。
現在の海龍王寺も観光客が退去して訪問する観光寺院ではないのですが、その「滅びの美」の風情はかなり薄れていて残念。かろうじて、表門から西に伸びる参道と崩れかけた築地塀にその名残が感じられます。


それでも、なにかしらほっとする古寺であることは間違いありませんが。
ところで、このお寺で必見なのは、西金堂内に安置されている五重小塔。総高4.01メートル(相輪を除く高さは2.85メートル)の小塔なのですが、薬師寺の東塔と立ち姿がよく似ています。


