京の人々の暮らしを静かに見守り続ける「火除天満宮」
2010年 05月 21日
火除天満宮(ひよけてんまんぐう)という名称なのですが、ビルのテナントのような(涙)
可哀想な神社。

ビルと駐車場に挟まれているものですから、参道はこの通り、人が二人並んで歩くのが精一杯
の極めて狭い参道です。まあ、京都の住宅事情も反映されていて、その意味京都らしいといえば
そうかもしれませんが。

この「火除天満宮」の起源は天正7年(1579年)。
筑後国の戦乱を逃れるため、大宰府より菅原道真の像を背負って京都に入り、
六角通の周辺に祀ったのが始まり。
慶長2年(1597年)、現在の四条寺町に移されたとのこと。
商業ビルの一角に鎮座しているという珍しい神社ですが、その名に因んだ逸話を持つ場所
でもあります。
元治元年(1864年)の「蛤御門の変」で、市中は戦乱の炎に包まれました。
北は一条通から南は七条通まで、27,000世帯を焼き尽くした大火災だったそうですが、
ここ火除天満宮の周辺だけは類焼を逃れ焼き残ったと伝えられています。

明治以降も三度の戦火に見舞われましたが、不思議と火除天満宮周辺の一帯は
火難を逃れたと言われています。
それゆえ、学問成就とともに「火除の神」として、今でも多くの人々から信仰され続けられ、
人々の往来を眺め続けています。

