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万葉ゆかりの古社 敏馬神社

阪神岩屋駅の南、国道2号線は万葉の頃は当時の海岸線で、敏馬神社あたりは、今の様子からは想像もできないけれど、万葉の時代から奈良時代まで、敏馬の泊(みぬめのとまり)という港だったところ。

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難波の津から出発した遣隋使や遣唐使が一泊する経由地、つまり、大陸との往来の要の地。鑑真和上の有名な話を持ち出すまでもなく、当時の航海は命がけだったわけで、都から慣れ親しんで眺めていた生駒の山々が最後に見ることができる最後の場所がこの敏馬の泊。

万葉の歌人、柿本人麻呂は、この地で、次の歌を残しています。

「玉藻刈る 敏馬を過ぎて 夏草の 野島の崎に 舟近づきぬ」

万葉ゆかりの古社 敏馬神社_b0063958_2250764.jpg


また大伴旅人も次の歌を万葉集に残しています。

「敏馬崎を過ぎる日作る歌
 
 妹と来し 敏馬の崎を 帰るさに 独し見れば 涙ぐましも

 行くさには 二人吾が見し この崎を 一人過ぐれば 心悲しも」

 奈良時代、聖武天皇に使えた大伴旅人が、九州大宰府に赴くのですが、三年後、帰京の時、亡き妻を偲んでうたった歌ですね。


平安時代後期から鎌倉初期の歌人藤原家隆も

「よそにだに 三犬女の浦にすむあまは 袖にたまらぬ 玉やひろわん」

という歌を残しています。

当時、神社のあたりの小高いところが、敏馬の泊の高台の岬だそうな。

景色の美しさにあわせて、別れのつらさをうたった歌が多いような。

敏馬の浜は、阪神電車の地下トンネルを掘った膨大な土砂などで埋めたれられ、更に神戸製鋼所の工場が建ち、震災後は、被災者のための住宅や兵庫県立美術館などが建ち並ぶようになりましたが、この地を遣隋使船、遣唐使船が往き来していたなんて、なにかしら感動的。
by tetsuwanco | 2010-05-07 22:52 | 神戸

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by てつわんこ
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