勤皇の志士たちが歩いていそうな(笑) 京都・島原
2010年 05月 04日
豊臣秀吉が京都再興のために、1589年(天正17年)二条柳馬場に開かれた島原は、我が国最初の花街。その御、六条三筋町に移転し、更に1641年(寛永18年)に現在の下京区(当時の朱雀野)に写されました。
正式名称は、「西新屋敷」とのことですが、京都のタクシーの運転手にそうお願いしても、ちゃんと連れて行ってもらえるのは困難でしょう。あたふたした急な移転させられたということで、九州・長崎の島原の乱を彷彿とさせることから、「島原」と呼ばれるようになったそうです。
・島原大門
その島原の玄関口に当たるのが、島原大門でしょう。

1854年(嘉永7年)8月の大火により消失し再建されたものが、更に1867年(慶応3年)に更に再建されたのが現在の島原大門。

門前には「出口柳」が植えられ、「さらば垣」がめぐらされ、今日も当時の趣を伝えており、島原の由緒を伝える地域の文化財として貴重。
この門を、幕末には、近藤勇や沖田総司などの新撰組、坂本竜馬、桂小五郎、西郷隆盛などの勤皇の志士がこの門をくぐったことを思うと感慨深いものがあります。
・輪違屋
輪違屋は、太夫や芸妓をかかえていた由緒ある置屋で、元禄年間(1688~1704年)の創業と伝えられているとのこと。

現在の建物は、安政4年(1857年)に再建されたといわれていますが、その後増改築がなされて、明治4年(1871年)に、ほぼ現在の姿になったそうです。

ちなみに、新撰組局長だった芹沢鴨の側近平間重助のお気に入りの芸妓糸里や、同じく新撰組の参謀伊東甲子太郎の馴染みの芸妓花香はこの和違屋のお抱えだったそうです。
輪違屋さんは置屋として営業されており、現在非公開。どうしても見たければ常連さんに連れてってもらうか、さもなくが常連さんになるしか方法はなさそうです(笑)。
・角屋
角屋は、島原開設当初から建物、家督を維持し続け、江戸期の饗宴、もてなしの文化の場である揚屋建築唯一の遺構。昭和27年に国の重要文化財に指定。平成10年からは「角屋もてなしの文化美術館」として一般公開されるようになりました。




揚屋とは、太夫や芸妓を置いていない家で、置屋から太夫や芸妓を呼んで遊宴を行ったところで、現在の料理屋、料亭にあたるもの。饗宴のための施設ということから、大座敷に面した広庭に必ずお茶席を配するとともに、庫裏と同規模の台所を備えていることを特徴としています。




天明年間(1781~1789)前後、角屋では、当時の一流画人に襖絵の制作を依頼し、円山応挙、与謝蕪村などの襖絵が残っており、蕪村筆の「紅白梅図屏風」(重要文化財)など非常な作品が残されています。




幕末の頃には、諸大名をはじめ坂本竜馬、西郷隆盛、桂小五郎、久坂玄瑞、山県有朋などの勤皇の志士たちが、軍用金調達のため、鴻池などの豪商をこの角屋に招き、しばしば宴会を催したことが伝えられているとのこと。



そのほか、新撰組の近藤勇や芹沢鴨なども出入りし、その刀傷が今も柱に残っています。



各座敷とも洗練された意匠を凝らしています。1階の松の間、網代の間も十分すばらしいですが、緞子の間、青貝の間、扇の間などの2階の部屋はそれぞれ、更に趣向が凝らされておりますところ、入場料のほかに別途800円が必要となりますが、充分、それだけの価値はありますよ。TVの幕末モノのドラマの島原の揚屋で太夫を交えた宴のシーンなどそのままの姿。円山応挙や蕪村などの襖絵が、手を伸ばせば届くところに、昔そのままにあるのが感激。原則、2階は予約制ですが、当日でも、人数制限の枠に余裕がある場合もありますので、もしチャンスがあれば、是非とも2階の見学をされることをお薦めいたします。
◆角屋もてなしの文化美術館
開館期間 3月14日~7月19日、9月15日~12月15日
開館時間 午前10時~午後4時
休館日月曜日(祝日の場合翌日)
入館料一般1000円、中・高生800円、小学生500円(2階の特別公開料金を除く)
※2階の特別公開の座敷(青貝・扇の間他)につきましては、事前にお電話でお申し込み下さい。料金は入場料の他に別途必要です。大人800円、中・高生600円(小学生以下はお断り)
2階特別公開 ご案内時間(約30分)
午前 10:15
午後 13:15 14:15 15:15
ただし、定員 各回20名。
電話番号 075-351-0024 にて予約受付(午前10時~午後5時)

