京都御苑を彩る雅な紅葉たち

京都御苑はもともと、江戸時代まで、御所を中心に公家のお屋敷が建ち並んでいたところ。

維新後の東京遷都により、公家たちも東京に移り住んだあとの屋敷跡の荒廃ぶりのありさまを目にされた明治天皇が、御所保存と維持を命じられ、その結果、京都御苑整備の計画事業が開始され現在のような国民公園となりました。

御苑内には百年を越える樹林が育ち、急公家屋敷跡や庭園等の歴史的遺構が点在し、古都京都の真ん中に極めてユニークな空間を形成しています。

京都御苑の乾御門(烏丸通側)を入ると、一面黄色落ち葉で覆われた大きなイチョウが目に入ります。“一條家跡”の大イチョウです。行きかう来苑者の足が止まります。場所は京都御所の北西角あたり。

京都御苑を彩る雅な紅葉たち_b0063958_8465457.jpg


京都御苑を彩る雅な紅葉たち_b0063958_8471784.jpg


先日は、御所の西側を色づいた紅葉を求めて、九條池方向を向いてゆっくりと散策いたしました。紅く色づいたものやまだまだ青葉のままのものまで、ばらつきはありましたが、美しく彩られた紅葉を堪能。

京都御苑を彩る雅な紅葉たち_b0063958_8475675.jpg


京都御苑を彩る雅な紅葉たち_b0063958_8482339.jpg


京都御苑を彩る雅な紅葉たち_b0063958_849063.jpg


京都御苑を彩る雅な紅葉たち_b0063958_8492780.jpg


しばらく歩くと、閑院宮邸家跡に至りました。場所は、京都御苑の西南隅、烏丸丸太町交差点の内側。閑院宮家は、江戸時代から始まった伏見宮、桂宮、有栖川宮家と並び四親王家の1つで、御苑の中で唯一創建以来の場所で、当時の建物や庭園の面影を残しているとのこと。

閑院宮邸跡の門をくぐると左手に、昔あった州浜の園池が復元されています。築山と東屋一つ、そして、御苑西南隅を覆う樹木だけの簡素なお庭です。

京都御苑を彩る雅な紅葉たち_b0063958_85044.jpg


閑院宮邸跡に立ち寄った後、九條池と拾翠亭に立ち寄りました。どちらも、五摂家の一つであった九條家の屋敷内に設けられた庭園の遺構です。

このあたりは、広い京都御苑の中でも最も楓紅葉を堪能できる場所です。

京都御苑を彩る雅な紅葉たち_b0063958_8513049.jpg


このうち、拾翠亭は今から200年ほど前の江戸時代後期に茶室として建てられたもので、貴族の茶室らしく、遊び心にあふれた建築となっています。数寄屋風の書院造りの2層からなり、屋根の鬼瓦は九条家の家紋を形どったもの。

京都御苑を彩る雅な紅葉たち_b0063958_8521823.jpg


京都御苑を彩る雅な紅葉たち_b0063958_8524139.jpg


今でもお茶会等に利用されている他、春から秋にかけての毎週金曜日と土曜日に一般公開されています。拾翠亭の前面に広がる池は九條池と呼ばれており、安永7年(1778年)頃、東山を借景とし、拾翠亭からの眺めを第一につくられたといわれているとのこと。

京都御苑を彩る雅な紅葉たち_b0063958_8533892.jpg


京都御苑を彩る雅な紅葉たち_b0063958_8542641.jpg


今では、木々が伸びて、東山も隠れてしまっていますが、京都の中心部とは思えないようなゆったりとした雰囲気を楽しむことができました。すぐ南の丸太町通に車が走っているなんて少し間感じさせません。

邸の前に広がる九條池は、勾玉池とも呼ばれ、当時は、鴨川から水が引かれていたとのこと。九条家の権力を象徴するかのような贅沢なお庭ですね。

京都御苑を彩る雅な紅葉たち_b0063958_8555017.jpg


京都御苑を彩る雅な紅葉たち_b0063958_8562441.jpg


京都御苑を彩る雅な紅葉たち_b0063958_855346.jpg


(撮影日:2009年11月22日)
by tetsuwanco | 2009-11-29 08:56 | ちょっと遠出

京阪神の地域密着情報を中心に情報提供します


by てつわんこ
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31