松虫塚@大阪市阿倍野区
2009年 10月 21日

樹齢800年の榎(えのき)の大樹の傍らに建つ塚なのですが、この塚にはいろいろな言い伝えがあるようですね。

その一つに次のような話があります。
『後鳥羽院の御世、官女松虫・鈴虫が、法然の弟子住蓮と安楽の説法に感化され、ひそかに出家して上皇の怒りをかい、2人の僧は断罪に、法然も土佐へ流罪と流されることに。その後、松虫がこの地に庵を結び隠棲した所である。』
なお、京都左京区の安楽寺は住蓮と安楽二僧の菩提を弔うため天和元年(1681)に創建された寺院で、住蓮と安楽、松虫と鈴虫の木像や石塔が悲劇を伝えています。
また、謡曲「松虫」には次のような話も。
『昔、ある人が親友と二人で阿倍野の松原を通ったが、うちの一人が松虫の音に聞きほれ、草むらに分け入ったまま帰らないため、捜しに行くと友人は草のしとねで死んでいたので、泣く泣く友人を葬ったのが松虫塚であるとする話。
その他にもいくつかの伝説が残っているようです。