維新史蹟・池田屋騒動之址
2009年 01月 08日

文久3(1863)年8月18日の政変後,京都では公武合体派が勢力を伸ばし尊王攘夷派が圧迫されたため,長州・土佐・肥後などの志士が勢力回復をめざし,中川宮や京都守護職松平容保の暗殺計画を企てます。元治元(1864)年6月5日,三条池田屋において会合中の志士30余名が新選組に襲撃され多数の死傷者を出したのが池田屋事件もしくは池田屋騒動。この石標は池田屋の跡を示すもの。
池田屋の内部を写した古写真が残っています。

それにしても残念ですよね。今、池田屋の跡はパチンコ屋になっています。
所在地:中京区三条通木屋町西入北側

