ベルリンの至宝展(7)アーノルト・ベックリン:死神のいる自画像(その1)
2005年 08月 13日
↑ベックリン「死神のいる自画像」
この美術展の主催者によるHP上のこの絵についての解説には、次のとおり書かれています。
「画家は絵筆とパレットを手に、耳を澄ましながら仕事の手を休めている。背後には骸骨で表現された死神が立ち、物思いに誘うような旋律を、ヴァイオリンに残った最後の弦で奏でている。・・・画家は死神が姿を現したことに驚いているのではない。この近さをかわそうとするのではなく、呼びかけに耳をそばだてているのだ。見たところ、この死神は作家人生の敵ではない。むしろここでは、実りをもたらす一瞬が表現されている。耳をそばだてて全てがとまっているこの瞬間は、インスピレーションの瞬間でもある・・・・」
私は、この解説、概ね正しいと思うのですが、ちょっと違うのではと思うところがあるのです。
それは、この絵に描かれているのは、決して死神では無いということであります。
骸骨と言いますと誰しもが思い浮かべる一つに、三日月形の大きな鎌を手に持ち、黒いマントを羽織ったりする骸骨姿のいわゆる「死神」があると思います。ベックリンの代表作の一つに「ペスト」という作品がありますが、この絵で登場するのは「死神」、まさしく、人々に死をもたらす存在、あるいはもたらすものの象徴であります。
↑ベックリン「ペスト」
ちょっと難しいのですが、ヨーロッパには、「死の勝利」や「死の凱旋」と分類されるもの(ベックリンの「ペスト」はまさしくこれですね。)と、「死の舞踏」と言われるものがあるのですが、この「自画像」は後者に分類されるんじゃないかなと・・・・。そして、それが、度々混同されているのであります。
もし、この絵に描かれているのが「死神」だとすると、この絵は、ただの気持ちの悪い絵に過ぎなくなってしまいます。
この話は長くなります。次回に「死の舞踏」そのものについて書いてみます。「死の舞踏」という概念の理解無しには、このベックリンの自画像の真の理解は得られないと思いますので・・