「すきがあったら、かかってこんかい」 喜劇俳優の岡八朗さん死去
2005年 07月 27日
そんなことよりも、関西の笑いの文化を考える上で、彼抜きには考えられないのではないでしょうか。彼の芸、特に、船場太郎氏、次いで花紀京氏との絶妙のやり取りは、一癖も二癖もある新喜劇の芸人たちの中でもワンランク上の「芸」というものを感じることができました。もう一度花紀京さんと絡みを見てみたかったですね。私にとって、漫才で「やすきよ」、新喜劇で「岡八郎・花紀京」でした。
実際、彼が活躍したのは、昭和40年代で、私は小学生・中学生のころでした。ある意味、関西人にとってヒーローそのものでありました。
ご冥福をお祈り申し上げます。
喜劇俳優の岡八朗(おか・はちろう、本名市岡輝夫=いちおか・てるお)さんが26日、肺炎による呼吸不全のため兵庫県尼崎市の病院で死去した。67歳だった。通夜は27日午後7時、葬儀は28日午前11時30分から尼崎市東難波町5の17の30のベルコ尼崎駅前ホールで。喪主は長女裕子(ゆうこ)さん。自宅は公表していない。連絡先は吉本興業大阪広報部(06・6643・1123)。
尼崎市出身。映画俳優、花菱アチャコの付き人を経て、59年、吉本新喜劇入り。70、80年代に、関西喜劇のドロくさい持ち味で「奥目の八ちゃん」などの愛称で活躍、「くっさ~」「えげつな~」のギャグで人気を集めた。50歳前からはアルコール依存症になり、55歳の時にがんで胃を摘出。96年、芸能生活40周年記念公演の前日に、自宅で転んで脳挫傷になり、公演が中止になるなど、不運に見舞われた。その後、闘病記などを出版、療養しながら地方興行やテレビなどに時折出演していた。03年に「八郎」から「八朗」へ改名した。
asahi.com( 2005年07月26日)