摩耶観光ホテル跡
2005年 07月 17日
摩耶観光ホテルは1930年に摩耶鋼索鉄道の福利厚生施設として兵庫県摩耶山中に設立されたのですが、1932年からホテルとして営業を開始。その概観から「山の軍艦ホテル」と呼ばれて親しまれていたようです。
建物はアール・ヌ-ボー調の鉄筋コンクリート5階建てで、山の斜面に沿って建てられており、入り口は3階にあり、ロビーも3階に配置されていたそうです。
当時の施設内容としては、20畳敷きの岩風呂、舞台付きの400人を収容出来る大ホール、下の階には中ホールがあり、大食堂、和・洋客室13室に加え、屋上にはビアガーデン、庭園の小動物公園、更にはローラースケート場があり、後のヘルスセンターの先駆けでもあったそうです。私は、かろうじて、もぬけの空でしたが小動物公園跡のようなものを見た記憶があります。
戦時中には空襲を受け、大きな傷痕を残しつつも昭和35年のケーブルカー再開に合わせて建物は修復され、ホテルの営業も再開されたそうですが、閉鎖の数年前は、学生向けの合宿専門ホテルの様になってしまっていたらしい。私が、よく知っているのはこの時期ですね。
そして、1980年代のある時、厨房からの出火が原因でとうとう営業を停止することになります。
今もその憂いをたたえた姿のまま、ひっそりと摩耶山中に佇んでいます。
なお、廃墟となった建物の常ですが、この廃墟にも幽霊が出るという噂があります。確かに、私の学生時代にも、幽霊を見たという人が何人かいましたね。