五代友厚ゆかりの朝陽館 @大阪
2015年 12月 28日
田蓑橋から阪神高速1号線との間、堂島川右岸のNTTテレパーク堂島第二ビルの前に「五代友厚精藍所西朝陽館跡」の石碑が立っています。
朝陽館とは、大阪の発展と深い関わりのある五代友厚が、国産の藍が舶来のインド産のもの(インディゴー)に圧されるのを憂い、明治9年(1876年)に、蒸気機関を動力とする最新設備を導入し、従業員300人で操業を始めた染料の藍の製造工場。
最盛期の明治10年(1877年)から明治11年(1878年)には、海外にも輸出をするなどしたのだが、段々と輸入品に押され業績が悪化して、明治16年(1883年)に閉鎖となります。
西朝陽館と西の字が付いているのは、東京にも同名のものがあり、それと区別するためだったとのことです。
「五代友厚精藍所西朝陽館跡」の碑のその横には明治天皇の足跡を意味する「明治天皇聖躅」と刻まれた石碑と更にその右に、「大村藩蔵屋敷跡の碑」があります。
このあたりは、江戸時代、各藩の蔵屋敷が建ち並んでいたのですね。