友ヶ島に行ってみた(2)要塞の島「友ヶ島」
2014年 05月 29日
江戸時代、そもそも友ヶ島は紀州藩の馬の産地だったそうですが、黒船来航以降、大阪湾を守る要衝とされ、紀州藩は幕命により友ヶ島奉行を置いたとのこと。明治時代になるとさらにその重要性が高まり旧陸軍により由良要塞の拠点として大規模に整備されました。大きな大砲を島内のあちこちに備え、約600人の兵隊が駐屯する要塞となり、第2次世界大戦が終わるまで一般人の立ち入りもできなかったそうです。
また、島内の歩道はほとんどがかつての軍用道路で、今も舗装されていない風情ある道路で島内を巡ることが出来ます。
今でも、砲台跡などの廃墟が島のあちらこちらに点在していて、どこかに似ているなあと思ったら、そうそう、昔、毒ガスの島、今はうさぎの島として知られる広島の大久野島でした。大久野島にはうさぎがいっぱいですが、友ヶ島には・・・・ハナシカ(落語家ではありません(笑))という鹿がいるそうですが、お見かけしませんでした。