カミーユ・ピサロと印象派展(2)「ポール=マルリーのセーヌ河、洗濯場」

ピサロによる「ポール=マルリーのセーヌ河、洗濯場」です。

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ポールマルリーと言えば、シスレーの一連の作品「ポールマルリーの洪水」が思い出されますが、そのポールマルリーです。

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こちらピサロの作品は、セーヌ川の洗濯場を描いています。
今ではセーヌ川で洗濯とは考えられませんが、今でも、パリ近郊でも結構多くの洗濯場が残っているのを見て、驚かされたことを覚えています。おそらく、村人たち、コミュニティの共用スペースだったのでしょう。

日本近代画家の祖の一人である浅井忠氏もフランス留学中に、「グレーの洗濯場」を残しています。

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ところで、このピサロの絵には、背景に煙を吐く工場が描かれています。工場の煙突の煙に代表される産業構造の変化により、従前からの村社会の崩壊、あるいは富む者と貧しい者の分化というものがあった・・・

なお、兵庫県立美術館の当美術展のサイトの中に、実は、ピサロはアナーキズムの影響を受けていて、ピサロの考え方が作品にひそかに現れているとして、その一例として、《昼寝、エラニー》 を取り上げています。

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「1880年代半ば、ピサロはスーラやシニャックらと点描技法に取り組みます。このときピサロは50代。息子と同世代の仲間たちと最先端の表現に挑むピサロ、老いてますますトンガっています。

彼ら新印象主義と呼ばれる画家たちの多くは、当時流布していたアナーキスム(無政府主義)の思想に共鳴しており、ピサロも例外ではありませんでした。ピサロの穏やかな作風と過激な思想とは、一見、相容れぬように思われます。しかし芸術家としての探求の厳しさに、既にピサロの過激さはあらわれているとも言えそうです。

労働や搾取に対するピサロの考えが、実はひそかに作品にもあらわれていた!?そんな新説をご紹介します。

たとえば農婦を描いたこちらの作品。貧しい農民が黙々と働く(あるいは働かされる)といったイメージは、かけらも見あたりません。むしろなんとも心地よさそうに、仕事をサボっているのです。」


もちろん、その新説も間違いではないと思いますが、私は、むしろ前述のとおり、「ポール=マルリーのセーヌ河、洗濯場」の方に、近代化に対する懐疑というものを感じるのですが。

なお、ピサロの盟友であるジョルジュ・スーラの代表作「アニエールの水浴」。

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この絵も、人々(おそらく、裕福なブルジョワ階層)が水浴を楽しんでいる姿を描いていのですが、よく見ると、背景に、ピサロの「ポール=マルリーのセーヌ河、洗濯場」と同様、煙を吐く工場がさり気なく描かれています。この工場では、搾取される側の労働者が汗を流して働いているわけで・・・。

近代化に対する懐疑と強烈な皮肉がこの絵にも隠されているのであります。
by tetsuwanco | 2012-07-21 17:08 | アート

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by てつわんこ
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