~長谷川等伯の国宝障壁画と名勝庭園~ @智積院・京都東山

「陽明文庫名宝展」が開催中であった京都国立博物館の後、修学旅行生で一杯だった三十三間堂はパスさせていただき、長谷川等伯一門の障壁画と庭園で名高い智積院を訪れました。さすがに、騒がしい修学旅行生は智積院には来ないようです。

先ずは、長谷川等伯一門の国宝障壁画が残る宝物殿へ。「楓図」は、2年前の没後400年、「長谷川等伯」展以来。うん、ゾクゾクします。

こちらは、等伯の息子の久蔵作とされている《桜図》。

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写実的でありますが、隣の等伯作の楓図に比べると明らかに老成した感じはしません。それでも、力強さを感じさせ、才気溢れる久蔵の性格を漂わせているような気がいたします。春の盛りの桜。久蔵25歳の作で、秀吉の子、僅か3歳で亡くなった捨松を弔うために描いた彼もまた翌年には没することに。何かしら、今は盛りながら、これから散りゆく桜を描いた久蔵の何かしら人生の無常、はかなさを感じずにいられません。

《桜図》の隣には、久蔵の父である等伯の作《楓図》が飾られています。

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流石に上手い。極めて洗練された筆致とデザイン。装飾性と写実性が息子久蔵作の《桜図》より一段高い次元で融合されています。秋を迎えた楓は生命力に満ち溢れています。

一説によると、この図は愛する我が子久蔵の死後に描かれたとのこと。そう考えながら見ると、等伯がどのような気持ちで《楓図》を描いたのか分かるような気がします。
秀吉の寵愛を受けながらも僅か3歳にして亡くなった捨松と、短いながらも光り輝いていた我が子の人生。人生の秋を迎えつつあった等伯ですが、極限まで精神性を追い求めた閑寂な《松林図》とは全く表面的には異なった表現様式ですが、何かしら、この《楓図》は根っこでつながっている気がいたします。

そして、この障壁画群が飾られていた大書院に面する名勝智積院庭園。

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利休好みの庭と伝えられ、豊臣秀吉が建立した祥雲禅寺(智積院の前身のお寺)時代に原型が造られ、その後智積院になってから運敞(うんしょう)僧正が修復し、東山随一の庭と言われるようになったとのこと。中国の廬山を形どって造られているそうです。

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ちなみに廬山は、中国江西省九江市にある名山で。廬山自然公園としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている景勝地とのこと。

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築山・泉水庭の先駆をなした貴重な遺産といわれ、中国の盧山を象って土地の高低を利用して築山を造り、その前面に池を掘るとともに、山の中腹や山裾に石組みを配して変化を付けています。

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面積的にはそれほど大きくない庭ですが、細長い池の北端からの景色は池と滝と築山とが一体となって遠近感が強調され印象的な視覚効果をもたらしています。

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築山にはサツキツツジなどの刈り込みとともに、丈の低いモミジやサルスベリが植えられて、複雑な山の形をかたどっているように見え、さらに滝流れとその下流の護岸石組の存在が深山幽谷の雰囲気をかもし出しています。

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サツキの刈込みと迫力のある自然石との組み合わせがとても迫力あります。

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書院では、歴史や美術の教科書でもお馴染みの長谷川等伯の国宝障壁画のレプリカが見ることができます。この書院では、かって、このような力強い東伯一門による障壁画とこの素晴らしい庭園に囲まれていたのですね。

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これは、最高の贅沢。

一尾の鷺が庭園に舞い降りていました。

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何気に、武満徹の「鳥は星形の庭に降りる」を思い出しました。

(撮影:5月19日)
by tetsuwanco | 2012-05-28 10:37 | ちょっと遠出 | Comments(0)

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